セレンディピティ
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「セレンディピティ」という言葉を聞いたことありますか?
本書では「偶然をとらえて幸運に変える力」と定義されている。
Wikipediaでは
『何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」のことを指す』
そう、「偶然に起こった幸運」という抽象的な事象を、曖昧な人生論で片付けるのでなく、「能力」とするところがポイント。単なる偶然という事象は、自分自身の力で引き起こすことはできなないが、「偶然から何かを見いだす」ことは能力として高められるとうことだ。
セレンディピティの代表例として多く語られるのが、
「ポストイット」だ。この商品の発明は2つのステップから成る。
1、社員Aがある日”すぐ剥がれてしまう接着剤”という失敗作を作ってしまった。しかし、彼は、この失敗を隠さず、この技術はなにかに活かせるのではないか?と考え社内で公表する。
2、社員Bがある日、本を開いたときに落ちた”しおり”を見て閃く。貼って剥がれるしおりは出来ないか?と。それにはAが作った接着剤が使えそうだ!と
これがポストイット誕生のストーリー。このように偶然によって、本来の目的と違う大発明が起こることがある。
しかしここで、これらを単なる幸運な偶然と片付けてはならない。もしもAが接着材の失敗を隠していたら・・?もしもBが落ちたしおりに不便を感じなければ・・?、BがAの接着材の失敗話をインプットしていなければ・・・?もしも・・・?、と考えていけば、ポストイットの発明は「幸運な偶然」だけがもたらしたものではなく、AとBの「能力」によるところが大きいとわかる。つまり、これがAとBではなく、CとDという別人であったならポストイットは生まれなかったかもしれないということである。
2002年ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏は、奇跡的な偶然の重なり(事例は割愛します)によって「ニュートリノの検出」に成功した。それに際しての小柴氏の発言がセレンディピティの本質をとらえている。
「たしかにわたしたちは幸運だった。でも、あまりに幸運だ、幸運だ、とばかり言われると、それは違うだろうと言いたくなる。幸運はみんなのところに降り注いだではないか、それを捕まえられるか捕まえられないかは、ちゃんと準備をしていたかいなかったかの差ではないか、と」
これらの教訓から、セレンディピティとは日頃の努力で高められる能力であり、また逆に、準備をしていない者には一生「幸運な偶然」などやってこないとも言える。
では、何を努力すればいいのか?
・現状の把握。データ集積、図式化など。見えないものを可能な限り見えるようにする努力。
・何事も「予測」すること。予測しなければ、何事も単なる事実として終わるが、予測があれば、”予測外”という”変化”に気付く事が出来る。予測外も言わばひとつの「偶然」と言える。
ということだ。
日頃の努力・心がけが、「偶然」の発生確率を増やし、おのずと「偶然から生まれる成功」の確率も高まる図式だ。
努力という言葉はあまり好きではないのだが、セレンディピティにおいては「努力は必ず報われる」的な胡散臭い説教話ではなく、努力が大前提であり、そもそも努力をしない奴は論外、的な視点が受け入れやすい。
昔、長州力が残した名言にこんなのがある
「努力したものがすべて報われるわけではない。 しかし、成功した者はすべて努力しているぞ!」
(長州もたまにいい事を言う)
さあ、日頃の「偶然」見逃してませんか?
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